今、健康と人生を改めて考える


この数年だけ見ても著名人やタレントの自決や、その未遂のニュースを頻繁に見聞きするようになり、その悲報にショックを受けている方もいらっしゃると思います。

著名人・タレントの自決報道が増加している近年の状況は、決して対岸の火事ではなく、身近な人にも同じようなことが起こり得る深刻な状況であるのです。その意味でも、今、人生と真剣に向き合うことが重要であると言えるのです。

そこで今回は、健康と人生について、改めて考えてみたいと思います。



絶妙なバランスを保って機能する「3つの健康」


健康の定義

以前の記事でもご紹介しましたが、改めてWHO(世界保健機関)の健康の定義についてご紹介します。

“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.” ※1
(健康とは、身体的、精神的および社会的に完全に良好な状態であり、単に病気や病弱の存在しないことではない。)

身体的健康、精神的健康、社会的健康の3つは、絶妙なバランスを保ってその健康状態を維持することができます。裏を返せば、何か一つの要素でも健康を害せば、たちまち他の2つの要素の健康にも影響をきたすようになるのです。



コロナ禍の健康被害

コロナ禍では、政府からの自粛要請により、多くの人々が社会的なつながりをデジタル機器に頼ることになり、ヒューマンタッチな関係性が希薄なり、次第に社会的な健康が損なわれるようになりました。また、外出する機会が減ったことにより、身体を動かす機会や運動する機会も減り、健康二次被害という新型コロナウイルス感染症とは別の形で健康被害をきたすようになりました。

するとこれまでに感じたことのないストレスを抱えたり、陰鬱な気分になったりして、精神的な健康を害する事態が見られるようになってきたのです。コロナ禍において、自殺率が増加したことについては、記憶に新しい方も多いと思います。

このように、何か一つの要素だけで健康を害することの方が少ないということがおわかりいただけると思います。つまり、身体的健康、精神的健康、社会的健康のいずれか一つでも健康を害する兆候が見られたら、その他の要素の健康についても気を配る必要があるのです。



不調の兆候を見逃さない

身体的健康を害していれば、かぜをひいた、熱が出た、発疹がでたといった症状が見て取れるでしょう。精神的健康を害していれば、やる気が出ない、自分の将来に希望を見出すことができない、不安に襲われるといった問題を抱えているかもしれません。社会的健康を害していれば、SNSで誹謗中傷のメッセージが届く、グループで無視されている、部屋に引きこもるといったものが見られるかもしれません。一人では気づきにくいものであっても、家族をはじめ周りの人がこのような兆候を見逃さないことが何よりも大切です。

このような兆候は、もしかしたら出かけ前に鍵が見つからないといった形で現れるかもしれません。というのも、脳にはクリエイティブ・アヴォイダンス(創造的回避)という機能が備わっており、本当はやりたくない、行きたくないと思っていると、創造的にそれを回避しようと無意識のうちにあらゆる方策を講じるのです。つまり、やりたくない・行きたくない、だから鍵を隠して、やらない理由・行かない理由をつけてしまおうということが無意識で行われているかもしれないのです。

この背景には、やりたくない・行きたくないという心と、それでもやろう・行こうとしている行動の不一致、つまり心身の不一致が起こっているのです。些細な兆候にも気を配って支え合っていくことが何よりも大切なのです。



健康は人生の目的ではない?


人生の目的

健康は言うまでもなくとても大切なモノです。その一方で、文学家である武者小路実篤は、自身の著書『人生論』で以下のように述べています。

人生にとって健康は目的ではない。しかし最初の条件なのである。
人間の目的は健康にあるのではなく、地上でなすべきことを完全になしてゆくにある。“

これはつまり、人生の目的は地上でなすべきことを完全になすことであり、健康はそれを実現するための最初の条件、前提条件であるということです。



健康は最初の条件

あなたは人生で叶えたい夢がありますか?

お子さんであれば、大谷翔平選手のような野球選手になりたいという夢を抱くかもしれません。お母さんであれば、笑顔の絶えない明るい家庭を築きたいという夢を抱くかもしれません。このような夢を叶えようとするとき、健康でなければどうなるでしょうか。

大谷翔平選手のような野球選手を目指しているのに、
・ケガや病気など身体的健康を害して練習ができなかったら…
・失敗する恐怖に取りつかれるといった精神的健康を害して思い切ったプレーができなかったら…
・チームメイトと上手くいかないといった社会的健康を害して協力関係を築けなかったら…
きっと大谷翔平選手のような野球選手になることはできないはずなのです。
これはお母さんの夢にだって同じことが言えます。

健康は最初の条件である、というのはこのような意味なのです。

高齢化社会と言われ年々国の医療費が増加している現代日本において、健康寿命を延ばすために健康に興味を持ち、健康を維持増進する取り組みを行うことはとても大切なことです。しかし、健康は人生の目的ではありません。
それにもかかわらず、健康を重視するあまり、人生を犠牲にしている人はいないでしょうか。
健康のためといって、食べたいものを極端に制限したり、友だちと飲みに行きたいのを我慢したり、家族と過ごす時間を犠牲にしたり…このような状況に陥っていないでしょうか。健康は人生の最初の条件であって、人生の目的は地上でなすべきことを完全になすことにあるのです。



何かを得ることが人生ではない?


それでは、人生の目的、地上でなすべきことを完全になすとは何なのでしょうか?これは人類共通の、哲学の最大のテーマであり、万人に当てはまる定義することはできないでしょう。

しかし、その手がかりを得ることはできます。作家のひすいこたろうさんの著書『あした死ぬかもよ?』という大ベストセラー作品には、このようなことが書かれています。

 僕らは100年後、この地球にいません。
 つまり、得たものを、すべて手放す日が来ます。
 昨日得たものも、明日得るものもすべて手放す日が来ます。
 (中略)
 そう考えると、何かを得ることが人生ではないことがわかります。
 天の迎えが来るその日まで、思い切り生きること、それが人生です。

お金は天国に持っていけない、という話はよく聞くと思います。しかし、お金だけではなく、地位も名誉も持っていくことはできません。知識や経験でさえも、すべて手放す日が必ずやってくるのです。どんなに勉強して知識を手に入れても、どんなに難関大学に入っても、どんな難関資格を取ったとしても、それらもいずれ手放すことになるのです。

このように考えると、人生の目的、人生の意味を見失ってしまうかもしれません。しかしそうではなく、「いつか必ず手放す日がやってくるにもかかわらず、なぜ人はそれを得るのか、得る必要があるのか」と考えてみましょう。
その答えの一つは、自己目的的なもの、つまりあなた自身の人生を味わい尽くすため、そしてもう一つの答えは、自己超越的なもの、つまりあなたが得たものを他の人のために与えてこの世に受け継いでいくためということが挙げられます。
このことを念頭に、「天の迎えが来るその日まで、思い切り生きること」、これが人生なのです。



終わりがあるから人生は尊く、光り輝く

あるアメリカの講演家は、「1週間のセミナーを行うのであれば、準備は1時間で済む。しかし、1時間のセミナーを行うのであれば、準備に1週間はかかる」と言っています。この言葉を聞いて、「あれ、逆じゃない?1週間のセミナーには1週間の準備、1時間のセミナーには1時間の準備では?」と思ったでしょうか。

この言葉の真意は、伝えたいことをすべて伝えるだけの十分な時間があれば、それをまとめる時間はそれほど必要ではない、しかし伝えたいことを限られた時間で伝えようとすれば、その内容の精査にたくさんの時間を必要とするということなのです。なぜ突然この話をご紹介したのかというと、人生の教訓にすることができるからなのです。



人生には限りがある

人生の時間には限りがあります。

だからあれもこれも手をつけて、そのすべてを成し遂げられるほどの時間はありません。
あなたにとって本当に大切なモノは何か、その大切なモノを成し遂げるにはどうしたら良いかを考え、そのことにフォーカスして取り組んでいって初めて成し遂げられるものです。
仮に、人生が終わることなく当たり前に明日が来るのであれば、明日やろう、今度キリがいいところからやろうと、先送りの人生になり、なすべきことがいつまでもなされず、ただ冗長な日々を送るだけになるではないでしょうか。

社会現象となり、日本映画史の歴代1位の興行収入を記録した『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』で炎柱・煉獄杏寿郎は、「老いることも死ぬことも、人間というはかない生き物の美しさだ。老いるからこそ、死ぬからこそ、たまらなく愛おしく、尊いのだ」という名言を残しました。

かのマザー・テレサは、夜6時間以上眠らない理由を訊ねられると「あの世でゆっくり眠るわ」と微笑みを浮かべて言ったそうです。



終わりがあるから「今」が輝く

人生にはいつか終わりがやってくる。

だからこそ、「今、ここ」、「今を生きる」ということが、尊いものであり、鮮やかに彩られていくのです。私たち人間は、未来にも過去にも生きることはできません。私たちが生きるのは常に「今」なのであって、人生とは「今、ここ」の連続体なのです。

終わりがやってくるからこそ、「今」が光り輝くのです。



健康を土台に、あなたの人生を味わいつくそう!


今回は健康と人生についてお話させていただきました。

健康は、人生の目的ではなく、人生を楽しむための前提条件になるものです。そして、人生とは、最後の日を迎えるまで何よりもまずあなた自身が思い切り生きることであり、得たものを与えてこの世に何かを受け継いでいくことです。

人生の目的、意味がただ一つに定義できないのは、人によって違っていいものだからではないでしょうか。あなたは人生最後の日に、「我が人生に一片の悔いなし」と言えるようにするため、人生をどのように彩りますか?

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

<参考文献>

※1 WHO、「WHO remains firmly committed to the principles set out in the preamble to the Constitution」、https://www.who.int/about/governance/constitution 、2023年7月23日閲覧
・武者小路実篤、『人生論』、角川文庫、1997
・ひすいこたろう、『あした死ぬかもよ?人生最後の日に笑って死ねる27の質問 名言セラピー』、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2012