2022年3月13日、ロシアによるウクライナ侵攻が続くなか、激闘が繰り広げられた北京パラリンピックは閉幕しました。
3月4日の開会式では、国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長が、拳を握って「ピース!」と叫び、ロシアによるウクライナ侵攻を批判する姿は、世界中から称賛を浴びました。
連日報道されるパラアスリートの活躍をご覧になった方も多いのではないでしょうか。
パラスポーツは共生社会の象徴とも言われており、パラスポーツを理解することが障がいを持っている方々を理解することにつながります。
北京パラリンピックをご覧になった方の中には、視覚障がいの部門でガイドが伴走し、パラリンピアンの「眼」となって、共に競技に取り組む姿を見た方もいるのではないでしょうか。
人は見た目が9割、人の感覚で視覚から得る情報は55%…といったように、「眼」の重要性を強調する表現は少なくありません。
人が生きていく上で、「眼」はとても重要な役割を持っています。
そしてそれは、単に「見える」という役割だけではないのです。
そこで今回は、「眼」に焦点を当てて、「眼」の役割をご紹介していきたいと思います。
「見る」とは何か?~「視覚」の3要素~
人間の感覚には、「視覚」、「嗅覚」、「味覚」、「聴覚」、「触覚」の五感があります。
先に挙げたように、その中でも「視覚」が担う役割というのは、とても重要なものです。
あなたは、「視覚」といったときに何を思い浮かべるでしょうか?
おそらく、「視覚」=「視力」が思い浮かぶのではないでしょうか。
しかし、「視覚」は大きく3つの要素によって構成されています。
それは、①感覚機能、②運動機能、③中央情報処理機能の3つです。
①感覚機能
感覚機能は、いわゆる視力と呼ばれるものです。
網膜にある視細胞が電気信号(光や色、形)を感知し、その電気信号が神経を通って脳に到達します。
脳は、その電気信号を受け取ると、左右の眼から入った像を重ね合わせて映像を認識するのです。
この一連の過程を通して、初めて「見る」という感覚機能を果たすことができます。
②運動機能
あらゆる方向からやってくる光を、両眼を動かして拾い集める機能のことを指します。
例えば、右方向から「危ないっ!」という声が聞こえたとしましょう。
(身体をすくめながらも)身体や首をひねって右方向を向く動作をすると思います。
しかし、それよりも素早く眼球が右方向に動くはずです。
スポーツや車の運転をしているときを考えてみると、身体や首を動かすより素早く眼球を動かすということがイメージをしやすいのではないでしょうか。
運動機能は、さらに「眼球の運動性」、「両眼のチームワーク」、「調節の柔軟性」の3つに分けることができますが、詳細は後ほどご紹介します。
③中央情報処理機能
感覚機能や運動機能を使って上手く光の情報を拾い集めたら、その情報を分析したり処理したりすることが必要になります。
これを中央情報処理機能と言い、視覚の「思考プロセス」と呼ばれることもあります。
例えば、右斜め前から顔面に向かって野球ボールが飛んできた場合を考えてみましょう。
このとき右斜め前に両眼を向けて、白い球体が像として認識できるだけでは不十分ですよね。
それが固い野球ボールであり、このまま顔面に当たると痛い、ケガをする、だから避けなければ、手で払わなければという情報処理が行われるわけです。
あるいはデパートのエスカレーターの脇に、脚が4本ついていて、その上に直角の板が乗っている木製の物体があるとします。
それを瞬時に“椅子”であるということを認識できるのは、今眼に入ってきた光の情報を過去の記憶と照合する等の処理を瞬時に行うことができるからなのです。
以上、3つの機能が上手く連携することによって、「見る」という行為がなされているのです。
視覚を鍛えるビジョントレーニング法
それでは、視覚を鍛えるにはどうしたら良いでしょうか。
感覚機能、つまり視力は、視力回復トレーニングなる方法もありますが、メガネやコンタクトレンズのような矯正方法がありますし、近年ではレーシック手術で視力を回復する方も増えてきています。
トレーニングによらずに視力を「鍛える」方法は確立されていると言えるでしょう。
中央情報処理機能は、記憶や経験を積み重ねることにより鍛えることができますが、その土台となる基礎的なトレーニングによって運動機能を鍛えることが効果的です。
運動機能には、先にご紹介したとおり3つに分類することができます。
〇眼球の運動性
眼球の運動性とは、その名のとおり、眼球そのものを動かすことです。
眼球をただ動かすというだけではなく、素早くかつ正確に、さらに広範囲に動かすという能力が大切なのです。
車の運転をしているとき、スポーツをしているときほど身体や首を動かさず、眼で前の車との距離を測ったり、歩行者や自転車に気を配ったりするのではないでしょうか。
周辺視野で幅広い情報を収集しながらも、最も意識を向ける対象に眼の中心を向けているはずです。
この眼球の運動性を高めるためには、
・マースデンボール(ひもが付き、ランダムにアルファベットが記載されたボール)を左右にスイングさせて、それを眼で追いながらアルファベットを読み取る
・ペンシルサッカードと呼ばれる方法で、消しゴムのついた鉛筆を2本上下左右に動かし、メトロノームのリズムに合わせて、2本の鉛筆の消しゴム間で視線を移す
といったトレーニングが有効です。
〇両眼のチームワーク
あなたは片眼をつむって両手の人差し指を合わせられますか?
きっと難しいですよね。
これは両眼で見ることで、モノを立体的に見ることができる、距離感をつかむことができるということを意味しています。
たとえ両眼で見ていたとしても、右眼と左眼の視力差・見え方が大きく異なると、正確に捉えることが困難です。
まずは両眼それぞれで見えている像を同一にすることが先決で、そしてそれらを連動させることが大切になってきます。
球技であればボールや味方のポジションなど、あらゆる方向に眼を向け、かつ両眼が連動していなければなりませんよね。
この両眼のチームワークを高めるためには、
・ブロック・ストリング(3つの玉が一定間隔で並べられたひも)を使い、一つの玉にピントを合わせたときに他の玉が二重になる生理的複視を素早く行う方法
・エキセントリック・サークル(直径3㎝程度の2つの円)を一定程度離し、二つの円の間に3つ目の円がはっきりと浮かび上がるようにピントを合わせる方法
といったトレーニングが効果的です。
〇調節の柔軟性
調節の柔軟性とは、水晶体がモノにピントを合わせる、そのスピードと柔軟性のことを指します。
残念なことに年齢を重ねるごとにこの調節能力が衰え、いわゆる老眼になってしまいます。
この調節の柔軟性を高めるには、
・ハートチャート(1㎠くらいの大きさの数字や文字が10行×10行書いてある紙)を壁に貼り、それを8分の1程度に縮小したものを手に持ち、手を伸ばした状態から顔につけるくらいまで徐々に近づけ、次に壁に貼った方にピントを移す方法
が有効です。
ここでご紹介した道具は市販のものもありますが、身の回りのもので自作できますので、ぜひ日常生活に取り入れてみましょう。
睡眠における眼
ここまで視覚についてご紹介してきましたが、眼の役割は「見ること」だけに限られません。
近年睡眠の重要性を説くテレビ番組や雑誌の特集、書籍などが増えてきたため、レム睡眠やノンレム睡眠という言葉をご存じの方も多いと思います。
レム睡眠とは、Rapid Eye Movement(REM)、つまり急速眼球運動をしているときの睡眠を意味しています。
このレム睡眠とノンレム睡眠がおおよそ90分周期で交互に現れてきます。
レム睡眠では、脳が活発に活動していて、記憶の整理やその定着が図られており、夢を見るのもこのレム睡眠中であると言われています。
一方で、ノンレム睡眠では、脳が休息して疲労回復を行っており、深い睡眠状態であると言われています。
それでは、なぜ睡眠中に急速な眼球運動が発生するのでしょうか?
実はこれには諸説あり、まぶたの内側を潤滑するため、脳を緩めるため、脳幹からの刺激に反応しているため、見ている夢の像を追うためなど、未だ定説がないのが現状です。
いずれにせよ、睡眠中であってもなお、眼のはたらきが重要な役割を担っていることは間違いなさそうですよね。
トラウマ治療における眼~EMDR~
前々回、コヒーレンシーというストレスマネジメント法についてご紹介しましたが、眼を利用したストレスマネジメント法もあります。
それが、EMDR(Eye Movement a Desensitization Reprocessing:眼球運動による脱感作と再処理)と呼ばれるものです。
これは、眼球をリズミカルに動かすことで感情的なトラウマを解決できるという考え方に基づいた方法です。
PTSDを抱えた患者に対して、EMDRによる治療を三回施すと、なんと約80%がその症状をほとんど見せなくなったという研究もあります。
本来私たちは、トラウマのタネとなるような感情的ダメージを受けても、それを消化するメカニズム(情報処理の適合システム)を持っています。
身体に良くないものを食べても消化して不要なものを排泄するような機能を、感情においても持ち合わせているということです。
EMDR理論によると、PTSD患者が抱えているトラウマは消化されずに、最初に体験したときのままに保存され、ある出来事(視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚)が引き金となって再現されてしまうとされています。
EMDRは、トラウマの記憶をあえて思い出させ、眼球をリズミカルに動かすことで、それを消化してしまおうというアプローチなのです。
眼をいたわる生活をこころがけよう
今回は、「眼」をテーマにお話ししてきました。
眼の最も身近な機能である「見ること」、それにとどまらず睡眠における眼の役割、トラウマ治療における眼の役割、さらには、ここではご紹介できませんでしたが宗教による洗脳も眼の働きに作用して行われていたりします。
日常生活のあらゆる場面で非常に重要な役割を演じているのが「眼」なのです。
現代社会ではパソコンやスマートフォンを利用する機会が増え、非常に限定的な眼の使い方しかしていない方も多くなっています。
近くのモノや遠くのモノ交互にピントを合わせる、両眼を広範囲に動かしてモノを捉えるなど、日頃から眼の機能を使っておくことが大切です。
大切な眼をいたわりながら、本来の機能を発揮できるよう取り組んでいきましょう。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
<参考文献>
・内藤貴雄、眼で考えるスポーツ―スポーツビジョン・トレーニング入門、ベースボールマガジン社、1995
・セルヴァン・シュレベール、ダヴィド著、山本知子訳、『フランス式「うつ」「ストレス」完全撃退法』、アーティストハウスパブリッシャーズ、2003